菅さん提供
ツガ(栂 常緑針葉高木 マツ科)
花期4~5月 果期10月
裾野に田園が広がる小高い丘の細い道を登っているとき、中腹で足元にたくさんの松ぼっくりが落ちているのを目にしたのは、春まだきの二月の良く晴れた日でした。
見上げても松の木は見当たらず、近くにぽつんとそびえていたのは、葉の形からは松の木には見えない一抱えはありそうな大木でした。
松ぼっくりと大木を見比べながらしばらく考えたところ、大木の正体はほどなくマツ科のツガということが分かりました。
アカマツの松ぼっくりは拾って遊んだり、良く燃えるのでかまどの焚き付けに使ったりして子供の頃からなじみのあるものでしたが、ツガの松ぼっくりを見たのはこの時が初めてのことでした。
松ぼっくりはアカマツのものと外見はそっくりですが、かなり小ぶりという違いがあります。ひだの間に入っている種は翼を持っていて風で散布される点はアカマツと共通です。
アカマツは尾根筋でよく見かける樹木で、ツガも同じような環境を好むようです。分布は本州以西となっているようですが、アカマツほどには見かけません。
ツガの大木のある丘の頂上は、戦国時代には山城が築かれていたところで、土塁や空堀が今に残っていて、一角にはかつては社殿を構えたそれなりのお社があったようですが、今では小さな祠が鎮座するだけとなっています。
神社で大木になった杉を良く目にするのは、天を衝くようにそびえるこの木のてっぺんに神が降臨するという思想があるためと言われていますが、ツガも同様に神木として植えられているところも全国的に見るとあるようです。
戦国武将が戦勝祈願をしたであろうと思われる山上の社殿があった周りにもツガが植えられ、中腹で見たツガは代を継いできたその子孫だったのでは、などと思いを巡らしながらその日は山城の遺構を後にしました。
カナメモチ(要黐 常緑小高木 バラ科)
花期5~6月 果期11~12月
樹木の花がどれも散って若葉になってしまった中で、紅葉の季節でもないのに思いがけず赤い葉が見える、と清少納言が枕草子に取り上げている樹木はカナメモチと言われています。
季節が巡って年も改まった真冬、紅葉していた木々のどれも葉を落とした冬枯れの中に、思いがけず赤い実を鈴なりに付けたカナメモチを見ることがあります。
別名アカメモチと言われるように春先の新葉は赤く、新緑の中で良く目立ちます。真冬の季節には常緑の濃い緑の葉と対照的な真っ赤な実もいやが上にも目立つ存在で、鳥たちにとってはこの時期には貴重な食料と思われますが意外と食べられてはいないようです。
いろんな木の実を味わった中ではカナメモチは不味い中でもとりわけ不味いというほどでもなく、バラ科の実の果実酒はどれも芳醇な酒になった経験から、カナメモチの実でも旨い酒ができるのではないかと思っているくらいなので、鳥の味覚と人の味覚とではかなり違いがあるということなのでしょう。
カナメモチは漢字では要黐と書き、固い材が扇子の要に使われたということと、革質の葉がモチノキに似ることからこの名が付けられたようです。
赤い実を付けるマンリョウやナンテンは正月飾りに良く使われます。マンリョウは万両に通じ、ナンテンは難を転ずるに通じる縁起物という訳ですが、カナメモチについては縁起物扱いされて正月に使われるという話は聞きません。それどころか、枕草子の中では品が無い感じ(しななき心地)の木とさえ書かれています。
緑に映える赤い実も、梅の花に似た白い花も、どこがどのように品が無いのか凡人にはさっぱり分かりませんが、カナメモチの名誉のために正月飾りに使える要素がないか考えてみました。
物事の最も大切な点や事柄を指して肝心要と言うときの要の語源は、扇子の要に由来すると言われています。要は扇子の中骨がバラバラにならないように束ねて留めてある最も大事な部分で、その扇子は開いた時の末広がりの形から縁起物として正月飾りにも使われます。
カナメモチの花言葉は「賑やか」。その実を正月に飾れば一家が一つにまとまり、賑やかな正月が迎えられるということになります。
カナメモチのモチも正月には欠かせない餅に通じ、マンリョウやナンテン同様に縁起の良い植物となります。
という次第で、めでたく縁起物の仲間入りと相成、めでたしめでたし。



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シャシャンボ(小小坊 常緑中高木 ツツジ科)
花期6~7月 果期11~12月
チャセンボと言う木をご存知ですかと問われたのは、あるクリニックの先生と庭木の話をしていた時のこと。
そのような名は聞いたことも活字で目にしたこともなく、どんな樹木か気になってチャセンボチャセンボと呪文のように唱えながらクリニックを後にしました。
外来の樹木かとも思いましたが、この先生は普段は白衣姿でもご自宅では和服の似合いそうな恰幅の良い方で、ツリバナやアクシバなど風流を解する人ならではの樹木がご自宅の純和風の庭園には植えられ、下草も日本の森で見られるようなものを検討されていて外来樹ということはあり得ません。
言葉の響きからどこかの方言ではと思いつつ帰宅後に調べてみると、愛知や三重などでシャシャンボのことをチャセンボと呼んでいることが分かりました。
シャシャンボはブルーベリーと同じツツジ科スノキ属の樹木で、実に六角形の萼のあとが残るところや白い粉をふくところはそっくりで、ジャムにも果実酒にもしたことのある見慣れた樹木ですが、チャセンボがシャシャンボだったことには思い至りませんでした。
ツツジ科の中では珍しく高木になる樹木で、初夏に咲く白い壺状の花は先端が小さく反りかえり、ネジキやアセビの花に似ています。革質の葉を持つ常緑樹で、真っ赤な美しい新葉に出会うこともあります。
小枝をしごけば子供の掌にはすぐにいっぱいになるほど採れる実は小粒ながら甘酸っぱく、昔の子供たちには格好のおやつだったという話をよく聞きます。
わんぱく坊主が得意げに高い所によじ登り、実をパクついている様子が漢字で小小坊と書かれた字面(じづら)から、さらにはチャセンボの語感やシャシャンボの語感からも目に浮かんで来るようです。
和風庭園の趣を出すために要所々々に植えられる役木の一つとしてシャシャンボも利用されることがあるようですが、この樹木の魅力の一つは、大きくなると樹皮がはがれて赤みがかった樹肌が見られるようになることです。
眼に良いとされるアントシアニンを多く含む実は、ブルーベリーと違って熟しても皮が固く、ジャムにしてもモサモサ感があるのが少し難点ですが、冬場に入っても手に入るうれしい山の幸です。
(写真は、果実、花、新葉の順)



ヤブサンザシ(藪山査子 落葉低木 雌雄異株 スグリ科)
花期4~5月 果期10~11月
以前に沢山採れたらジャムを作ってみようと思い、庭の隅で育てていたスグリの実は熟しても緑色のままでしたが、秋の山歩きでは林縁などで真っ赤に熟してはち切れそうになったスグリ科のヤブサンザシの実を目にすることがあります。
ヤブと名の付く植物には、藪に生えるという意味と人の役に立たないという意味で付けられるものがありますが、ヤブサンザシは暗い藪の中では見られず、日当たりの良い崖や大小の石が混じるガレ場で見られますので当然後者の意味になります。
人の役に立つサンザシはバラ科の植物で、健康食品や薬用として用いられスーパーフードとして高い評価があるのに対して、ヤブサンザシの実は食用にはならず薬効もないようです。そのようなところからヤブサンザシの名になったようです。
ヤブサンザシに出会った当初、見た目に美味しそう見える実に惹かれて口にしたことがありますが、食用のスグリとは大違いで本当に不味いものでした。
小さい薄黄色の花は目立たないうえ実も食用になりませんが、実の美しさから庭木や盆栽としては利用されているようです。
樹高は成長しても1メートルほどですが、地際からも一つひとつの枝からも良く枝分かれするためある程度の場所は必要としても、庭木として利用する場合は自然の中の生育環境からみてあまり手間はかからないと思われます。
秋の深まりにつれ、瑞々しかった赤い実は次第に萎びてきて、ススキの穂と並んでいる様子などを見ると、過ぎゆく秋をいやがうえにも感じさせるものとなってきます。
庭に植えれば、秋の感傷に浸る格好の庭木の一つになるかもしれません。



アワブキ(泡吹 落葉小高木 アワブキ科)
花期6月 果期9~10月
アワブキは谷筋に多く見られる樹木で、幾つもの側脈が並行に並ぶ20cm前後にもなる大きな葉を付け、秋には赤い実を付けます。
アワブキの名は、材を火にくべると火のついた反対側の切り口から泡が吹き出すことから付けられたというものが一般的ですが、白色の小花が寄り集まって咲いている様子が泡のように見えるためという説もあります。
花も泡に見えなくもないですが、薪が主な燃料だった昔は切り口から出てくる盛んな泡は他の材と比べて顕著なことから、この泡に因む方言名も幾つかあるようで、生活に密着した前者の説が有力なように思えます。
かまどに薪をくべてご飯を炊いていた子供時代の頃、薪の端から泡と共ににじみ出る液体を興味本位で舐めて舌を刺すようなえぐみでえらい目に遭ったことがありますが、この液体の成分は、虫除けにも使われる炭を焼くときに出る木酢液と似たようなものでしょうから、舐めてえらい目に遭うのも当然です。
この時の薪がアワブキだったかどうかは定かではありませんが、野山で木の実などを見るとつい口に運んで味を確かめてみたくなる性分は、今にして思えばこの頃から培われていたようです。
泡と言えば、左党の人はビールの泡を思い浮かべる人もいるかもしれませんが、水の泡、泡を食うなどのように泡を使った言葉はいい意味ではあまり使われません。泡を吹くと言えば気を失って倒れるという意味で、まともに稼いだお金でないものをあぶく銭という言い方をしますが、あぶくは「泡沫」(あわぶく)が語源とも言われています。
樹木のアワブキも用途の面からみれば、材は割れや狂いを生じやすいので木材には適さず、せいぜい薪として利用される程度という評価がもっぱらです。
人の役には立たなくても、万華鏡をのぞいた時のような幾何学模を翅に持つスミナガシという美しい蝶の食草になったり、秋の実は鳥たちのご馳走になり、自然界では立派な役割を持っています。
庭木や公園樹としては見かけませんが、真っ赤な実と共に大きな葉の黄葉も美しく、もっと高評価されても良い樹木の一つだと思います。


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センニンソウ(仙人草 つる性半低木 キンポウゲ科)
花期8~9月 果期10~11月
センニンソウは基部が木質化する半木本性のつる植物で学名にClematis ternifloraとあるように園芸で人気のクレマチスと同科同属です。
両者の共通点は果実が似ている点にもあります。どちらの果実にも先端に雌しべの花柱が残っていて、熟すにつれて花柱に白い綿毛様の毛が密生し、種子が熟しきると風を受けて飛んでゆきます。
この果実の白い毛を仙人の髭になぞらえて付けられたのがセンニンソウということですが、名付けた人にはセンニンソウの方の髭がボタンヅルより長いため立派に見えたのでしょうか。
方やボタンヅルの方は、葉の切れ込みの形から花の王様と言われるボタンにあやかった名をもらっていますので名前ではどちらもいい勝負ということになりますね。
センニンソウの花は大輪の花を咲かせるクレマチスと比べると見劣りはしますが、大きく広がったつる全体に真っ白な花が咲くさまは壮観で、初秋の気配を感じるころに晴れ渡った青空を背景にした花を目にすると爽やかな印象を受けます。
花の美しさから家庭園芸に用いられることもあるセンニンソウですが、つるが伸びすぎた場合は秋に地際近くで剪定すればよいとのこと。木質化した半木本性の強みで翌年にはそこから新芽が出
るそうです。ただ、キンポウゲ科の植物には毒が有り、このセンニンソウも例外ではないので剪定などの管理には注意が必要です。
クレマチスはつる植物の女王と言われているようですが、日本の原野に自生する絶滅が危惧されているクレマチスで、女王の名に恥じない大輪の花を付けるというカザグルマの花を自然の中で一目なりとも見てみたいものです。
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ウリノキ(瓜の木 落葉低木 ウリノキ科)
花期6月 果期8~9月
8月半ば、避暑を兼ねて山道を散策していると、近くにウリノキが可愛らしい姿の花を咲かせていたことを思い出し、立ち寄ってみることにしました。
ウリノキの名の由来は、葉の形がウリの葉に似ていることからそのように呼ばれています。ウリとは無関係のウリハダカエデの葉ともそっくりです。
ウリノキは滅多に見かけない樹木で花にはなかなか出会えませんでした。この山道は良く利用する山道ですが、ここにあるウリノキはずっとウリハダカエデと思い込んでいましたので花にめぐり会える機会を長い間 逃していたことになります。
数年前に偶然ここで花を初めて目にしたときは、花に出会えたうれしさと同時に我が身の観察眼の無さを思い知ることとなりました。楓の類の葉はどれも対生でウリノキは互生という明確な違いがありますので、ちょっと注意してみれば違いは一目瞭然なのですが、遠目でしか見ていなかったということで自分を納得させました。
ウリノキの葉は大きなものでは差し渡し20cmにもなりますが、実の大きさは1cmにも満たない大きさで、キュウリやメロンのようなウリの仲間の実が大きくなるのとは対照的な大きさです。
この時期の果実はすでに濃紺色になって完熟しているようでした。多くの図鑑などには果実は藍色に熟すと記載されています。確かに結実直後の緑色から鮮やかな藍色に変化していく時期はありますが、濃紺色の果実は柿に例えれば熟柿のような状態ということになるのでしょうか。
仙台の七夕飾りに見られるような形の花は一度見たら忘れられない花です。愛くるしい花と美しい藍色に熟す果実は庭木にすれば身近で楽しめそうです。
花びらの先端がクルクルと巻き上がったこのユニークな花の形はウリノキだけの専売特許ではありません。ウリノキとは縁もゆかりもない樹木で赤くて美味しい実を付けるツツジ科のアクシバも同じような形の花を付けます。
アクシバが乾燥気味の所でも見られるのに対し、ウリノキは沢沿いなどのやや湿気の多い薄暗い場所で見られます。そのため、大きな葉の陰になる花や果実の撮影には一苦労です。
さて、ウリノキの実もアクシバのように食べられるのかと言えばこちらは食べられる代物ではありません。ウリノキの名前につられて一度口にしたことがありますが、当たり前と言えば当たり前の話で、ウリノキとは名ばかりのメロンなどとは程遠いとても不味いものでした。


ニガ キ (苦木 落葉高木 雌雄異株 ニガキ科)
花期4~5月 果期8月
道すがらに立ち寄った大阪北部にある野間の大ケヤキ。その大きさは日本で五本の指に入ることで有名ですが、毎年アオバズクが営巣することでも知られています。
立ち寄ったついでに珍しいアオバズクの写真の一枚でも撮ろうかと梢を見渡しましたが中々視界に鳥の姿が入って来ず、場所を変えたところでニガキの木が目に入りました。
葉の間からは、赤い果実と赤い果柄、さらによく見ると果柄が出ている果序軸までもが赤くなっているのが確認できました。
日本の伝統色で黒みを帯びた深く濃い藍色の勝色(かちいろ)にニガキの実が熟すのは8月に入ってからになりますが、熟す前の段階でこんなにも赤い状態の実を見たのは初めてのことなので、アオバズクはさておいてニガキの撮影に専念しました。
日照条件の良い所に生育するニガキの実が赤くなるのか、あるいは日照条件は関係がないのかは観察を重ねないことには断定できませんが因果関係はありそうな気がします。
ニガキは漢字では苦木で、文字通り葉も材も実も苦いことが知られていますが、どの程度苦いのか実際に葉を口にしたことがあります。噛んですぐには苦味は感じられませんでしたが、少し間を置いてから強烈な苦みが襲ってきてすぐに吐き出しましたが、唾を何度吐き出してもいつまでも苦みが消えず、正に苦い思いをしたことがあります。
この苦み成分は健医薬として市販のいくつかの胃薬に使われているようですが、樹皮から抽出した成分はかつて殺虫剤としても使われていたそうですから素人療法で使うのは控えた方が賢明です。
テレビのドキュメンタリー番組で体調を崩した野生のチンパンジーが薬草をかじる場面を見たことが有りますが、日本の猿も苦いニガキをあえて食べることがあったとして、その光景を見た人がニガキに薬効が有ると気が付いたのかもしれません。
薬用以外の利用法としては材の鮮やかな黄色を活かした寄木細工が有名ですが、材にも薬効が有りそうなのでどこぞで材を手に入れてコップを作り、冷たいビールを注げば薬用成分が溶け出して夏バテで弱った胃に良さそうです。苦いビールが一段と苦くなりそうですが、そこのところは苦み走ったいい男になったつもりで我慢することにいたしましょう。



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ガン ピ (雁皮 落葉低木 ジンチョウゲ科)
花期5~6月 果期10月
明るく開けた山道の両側に花を付けたガンピが、まるで植えられたかのように並んでいました。日当たりの良い痩せ地を好むこの樹木の性質が良く分かる光景です。
ガンピは枝垂れた枝という枝の先々に小さなラッパ状の花をまとまって付けます。花の一つひとつは1cmにも満たない長さで花全体の重さはわずかだと思いますが、それでも大きく枝が枝垂れるのは、表皮の下の内皮の部分の厚さに比べて木質部が細いことによるものと思われます。
内皮は強靭で、楊枝ほどの細い枝でも手で引きちぎるのは容易ではありません。この内皮から作られてきたものが雁皮紙といわれる和紙で、繊維が短く細かい特徴を活かして透き通るような強くて薄い紙を漉くことができるそうです。
奈良時代には紙を漉く技術も発達して、染料で染めた紙が当時既にあったことや、平安時代には和紙で作った着物も作られ始めたというから驚きです。
江戸時代初期に伊達政宗がローマに派遣した支倉常長の一行には、鼻をかんで捨てた和紙が余りにも薄くて上質なため、民衆が争って拾ったという逸話が残っています。日本の製紙技術の高さが分かるエピソードです。
和紙の主な原料はガンピの他にコウゾやミツマタが有りますが、雁皮紙はコウゾの持つ強さとミツマタの持つ光沢感、風合いを兼ねそなえていて、細い文字でも書きやすいことから平安期の女性たちに愛用されたそうです。
平安の女性たちは、染色された色の異なる薄い紙を重ね合わせ、上の紙を通して下の紙の色がおぼろげに透けて見える二つの色が綾なす色の変化の妙味を愉しみつつ文をしたためたということです。しかも色の組み合わせに名前をつけ、季節に合わせてそれを選んだということですから、昔の人の紙への深い情愛はプリンターから排出される印刷物しか手に取ることのない現代人から見れば夢想だにできないことですが、言霊という言葉が示すように言葉には霊力が宿ると信じられていた上代には、言葉を書き記す紙にも人々は特別な思いを持っていたと考えてもおかしくはないように思います。
手漉き和紙の技術の継承者がなく、和紙生産の存続が危ぶまれているという話を聞いて久しくなります。栽培が難しいと言われるガンピそのものも準絶滅危惧種に指定されている所もあるようです。
可愛い花を付けるガンピも、世界に誇れる和紙も、ともに身近に触れられる存在であ
り続けることを祈ります。


ナワシロイチゴ(苗代苺 落葉小低木 バラ科)
花期5月 果期6月
田舎で日向苺と呼んでいたナワシロイチゴは日の良く当たる土手や石垣に多く見られる苺で、白花がほとんどのキイチゴ属の中では珍しく紅紫の花を付けます。
漢字で書く苗代苺の苗代とは、稲の種もみを撒き、田植えができる程度まで苗を育てる一定の区画のことで、苗代を作る頃に果実が熟してくることがこの名前の由来になっているようです。
名前の由来とは裏腹に、苗代を作る時期にはまだ花の段階の地域が多いようで、実際に名前の由来は苗代の時期に花が咲くためとした記述を見ることもあります。
名前が付けられた当時は稲の改良や稲作の技術も進んでいなかったでしょうから果実の熟す6月頃に苗代を作っていたとも考えられます。
この花には一風変わった特徴があります。花が開いた様子を見たいと出向いたのですが、萼はこれ以上は反り返られないというほど反り返っていても花は一向に開かず、そのうちに花弁が落ちてしまっているということが何度もあり、まだ蕾が残っているのでチャンスはあると出直してみるといつの間にか果実だけになっているということもありました。
実はこの花は開くことなく受粉を終え、受粉後の花は花びらを落として萼が閉じ、果実が熟してくると再び萼が開くという特徴を持った花だったのです。つまり、花びらは開かずにずっと裏側だけを見せていて、蕾と思っていたのは受粉後の花の姿だったわけです。萼が閉じるのは果実を守るためと思われますが、花が開かないのは萼の開閉にエネルギーを回して花弁を開くことは諦めた結果なのでしょうか。
花を良く見てみると、萼は白い包み紙をそっと開いた形で、花は紅紫のしっとりとした茶巾絞りの上品な和菓子のようにも見えます。
昔の田植えは豊穣を神様に祈って行われ、今でも各地に神事として残っていて、着飾った早乙女が田植えをする光景が田植えの季節になると毎年報道されます。早乙女苺はナワシロイチゴの別名で、三葉苺、五月苺などとも言われます。
花びらの表を見せない控えめなこの花には、菅笠や編笠を目深にかぶった艶やかな早乙女の姿が思い浮かぶ早乙女苺の名が一番相応しいように思います。

